
子どもの存在を丸ごと信じただろうか?
この言葉は、当法人が大切にしている三省の1つ、またもっとも前提となるものです。
子どもは何もできない、なんでも教えないと成長しない、受動的な存在であるではなく、
子どもは生まれながらに様々な能力を持ち、自ら能動的に人や周囲の環境に働きかけている有能な学習者であるを
表した言葉です。
その文章の言葉として、私は以前こんな文章を付け加えました。
「子どもの行動のすべてに意味がある」
ここで子どもの「泣く」という行為について見解を述べさせていただきます。
一般的に考えると、①悲しいという感情、不安という感情、つまり何かが欠けているような状態 ⇒ ②子どもがそれらの感情を抱き、泣くという行為が生まれる
もちろんそれもあると思いますが、保育者としてはこのように捉えています。
①悲しいという感情、不安という感情、つまり何かが欠けているような状態 ⇒ ②それらを解消しようとして自ら泣くという行為を選択している
結果的に生じるものではなく、その先にある自分自身の情緒の安定のために、プロセス的な1つとして「泣く」という行為を選んでいるのではないでしょうか?
私たち大人も自然にそうなっていると感じませんか?
ストレスが溜まっていると、なぜか辛いものを食べたくなる・・・
疲れていると、甘いものを欲する・・・
イライラしていると、カラオケで解消する・・・
気分転換にドライブする・・・ など
保育園の中でよく聞く言葉です。「今日は寂しくて泣いていましたよ」ではなく、本当はこう伝えるといいですね。
「今日はちゃんと不安な気持ちを泣くという行為でしっかりと表してました。私が抱っこするとすぐに気持ちが落ち着きました。これからも〇〇くんの気持ちを大切にしていきますね。」
少し長いですが、人間性と専門性を持つ保育者は、こう意識したいものです。 理事長